前空幕長発言、首相「極めて不適切」 参院外交防衛委(朝日新聞)
2008年11月14日 時事ニュース
たまには、学問的なことを。
田母神氏は、たぶん、基本的なことをわかっていない。
つまり、彼は、「歴史的真実」について述べようとしているのだが、それはあまり意味がないことである。
実は、東京裁判を受け入れ、サンフランシスコ平和条約を締結した「当時の日本の政府」は、連合国軍側と「和解」をしたのである。
つまり、こういうことである。
AとBがけんかをしたのだが、Aが勝って、Bが負けた。
そのときに、双方に遺恨が残らないように「和解」をした。その和解案の内容が、けんかに勝ったAに有利になるのは当然である。負けたBは、それで仕方ないと手打ちをしたのだ。諸般の事情に鑑み、けんかを長引かせるより、早く「和解」をした方が「得」だと判断したのだ。
それが、「政治」というものだ。
だから、後になって「あの和解は間違っていた」と言うのは、言うべきでないし、言ってはいけないことなのだ。
少なくとも、大人が言うことではないのだ。それを言うことが許されるとしたら、それは子どものけんかのときだけだ。
正しい戦争も、間違った戦争もない。
ただ、戦争があり、戦争が終わり、その後始末を「和解」という形でつけただけなのだ。
歴史的真実があるとすれば、ただそれだけのことだ。
確かに、日本がアジアの国々を「侵略」したことで、結果としてアジアの国々の、欧米からの独立を促したことは確かである。
しかし、「侵略した」と「和解」した以上、それは、やはり「侵略」なのである。
政治的に、そう決着をしたのだ。
反省するとしたら、負ける戦争をしたことだ。
歴史教育をする上でもそうだが、例え物理学の分野においてでさえも、「真実」なんてものは、人間には分からないのだ。
物体に質量があるのかないのか、それを人間が判断した時、それも「政治」なのだ。
科学的「真実」なんてものが、本当に「わかる」と思っている科学者がいるとすれば、それは「お笑い」の世界だ。
もし「真実」があるとすれば、それは「その人にとっての真実」があるだけである。
田母神氏は、たぶん、基本的なことをわかっていない。
つまり、彼は、「歴史的真実」について述べようとしているのだが、それはあまり意味がないことである。
実は、東京裁判を受け入れ、サンフランシスコ平和条約を締結した「当時の日本の政府」は、連合国軍側と「和解」をしたのである。
つまり、こういうことである。
AとBがけんかをしたのだが、Aが勝って、Bが負けた。
そのときに、双方に遺恨が残らないように「和解」をした。その和解案の内容が、けんかに勝ったAに有利になるのは当然である。負けたBは、それで仕方ないと手打ちをしたのだ。諸般の事情に鑑み、けんかを長引かせるより、早く「和解」をした方が「得」だと判断したのだ。
それが、「政治」というものだ。
だから、後になって「あの和解は間違っていた」と言うのは、言うべきでないし、言ってはいけないことなのだ。
少なくとも、大人が言うことではないのだ。それを言うことが許されるとしたら、それは子どものけんかのときだけだ。
正しい戦争も、間違った戦争もない。
ただ、戦争があり、戦争が終わり、その後始末を「和解」という形でつけただけなのだ。
歴史的真実があるとすれば、ただそれだけのことだ。
確かに、日本がアジアの国々を「侵略」したことで、結果としてアジアの国々の、欧米からの独立を促したことは確かである。
しかし、「侵略した」と「和解」した以上、それは、やはり「侵略」なのである。
政治的に、そう決着をしたのだ。
反省するとしたら、負ける戦争をしたことだ。
歴史教育をする上でもそうだが、例え物理学の分野においてでさえも、「真実」なんてものは、人間には分からないのだ。
物体に質量があるのかないのか、それを人間が判断した時、それも「政治」なのだ。
科学的「真実」なんてものが、本当に「わかる」と思っている科学者がいるとすれば、それは「お笑い」の世界だ。
もし「真実」があるとすれば、それは「その人にとっての真実」があるだけである。
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