あ~、何だか無性にいらいらする!
さっきも読み直したんだけど、あんなんでいいのかな?
確かに知識はあるんだろうけど、あんなの公開して恥ずかしくないのかな?
ホント、エ~~!!!!!って感じが今でも続いている。
う~~~~んんんん。


ちょっと冷静になって書いてみるけど…。

斎藤氏が根本的に誤っているのは、「人工知能」と「人間の脳」を同じ土俵(次元)で考えていること。
というのは、「人工知能」は記憶を(デジタル)言語で蓄積するが、「人間の脳」は記憶を言語で蓄積しないからである。
それは、言語(人間が認識する形での言語という意味だが)を持たない動物も、「映像」としての記憶とか、あるいは「匂い」に関する記憶とか、あるいは「音」に関する記憶とかを持っていることからも明らかである。

このように、全くシステムが異なる「人工知能」と「人間の脳」を同一平面で語るとは、呆れてものが言えない。「人工知能」というものが、(デジタル)言語で綴られている限り、100億年経っても、「人工知能」は「人間の脳」にはなれないのである。
というわけで、斎藤氏の理論は、根底から崩れている。

いくら人工知能だの、コンピューターだのを語っても、絶対に「脳」には行き着かないのである。
どうしてこんなことがわからないのか?

ぼくは、この往復書簡を読む以前は、斎藤環という人物を、「懐が深いなあ」という思いと、「細かいところを突っ込む人だな」という思いが錯綜しつつも、「真っ当な議論」ができる人だと思っていた。
だから、この往復書簡が始まると知ったとき、マジでワクワクしていた。
ところが、第2書簡(茂木氏)でいきなりストップしてがっかりしていた。
だから、思いがけずも再開していて、夢中で読みに入ったのに…哀しいです。

彼らが、現在の日本の脳科学者、あるいは精神科臨床医として、どの程度の地位を占めているのか、ぼくは知らない。
しかし、文化論とかの異分野ではなく、自分の専門分野(あるいはそれに近い分野)であるにもかかわらず、彼らの論理レベルがこの程度であることに、驚愕と困惑と悲哀を感じざるを得ない。
たぶん、知識はあるんだろう。やたら、文献の引用は得意なようなので。
しかし、他人の言葉に依拠しすぎていると思う。
ラカン、ラカンとうるさいけど、ラカンが正しいかどうかさえ危ういのに、そのラカンに依拠している論理の危うさに気がつかないのか。
まあ、それにラカン=構造論的言語学だから、言語学に問題を強引に引きずり込もうとする理由も分かるんだけど。
ただ、「もしも」専門の精神医療の分野でも、ラカンを下敷きに分析しているとしたら、それはどうかなと思う。

どちらにしろ、この程度の論理レベルしか持ち得ない人間が、もし脳科学とか、精神科学をリードしているとしたら、ぼくはこの分野の研究を信じることができなくなる。
彼らの罪は大きい。

ただし、斎藤環氏が、「引きこもり」に関して述べている内容に関しては、やはり「まっとうで参考になる」ことは疑いがない。
結局は、ラカン等の「言語学」に関しての知識が浅薄であるにもかかわらず、それを敷衍して他分野の論評するからマズイんだろうね。

さっき気づいたんだけど、ぼくの他にも(ぼくが気づくくらいだから、当然なんだけど)彼の論理の危うさを指摘しているレビューがあり、ほとんどぼくの見解と重なり合っている。
http://www.amazon.co.jp/%E9%96%A2%E4%BF%82%E3%81%99%E3%82%8B%E5%A5%B3-%E6%89%80%E6%9C%89%E3%81%99%E3%82%8B%E7%94%B7-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%96%8E%E8%97%A4-%E7%92%B0/dp/4062880083

「仮想敵を設定して、その仮想敵の現説を矮小にまとめあげて叩く!」という彼の論法は、彼の本質らしいね。

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