「無駄」の意味

2010年9月12日 日常
『駄』とは、馬に積んだ荷物のこと。つまり、荷をつけて、運んで行けば駄賃になるけど、荷をつけない空馬ならば、いくら歩いても稼ぎはなし。
つまり、「無駄」とは、目的に対する結果を伴わない行為を評価する際に使う言葉だ。
とするならば、目的を何に置くかによって、無駄かどうかの評価が変わる。
もっと具体的に言うと、「楽しい気分を感じたい」ということを目的にするなら、その当の本人が楽しければ、いかなる行為でも、その当の本人にとっては価値あるものになる。逆に、ショパンコンクールで優勝することや、ウインブルドンで優勝することでさえ、興味のないヒトには無駄である(興味がある人には、「神」だろうけど)。もっと言えば、ヒト以外の生物にとって、ヒトが生きることは無駄を通り越して害悪である。

このように、無駄か無駄でないかは、実は主観的なもので、客観的に価値があるものなんて、実は何もない。強いて言えば、お金に換算できるという意味での「経済的意味での客観性」のみが存在する。


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