射精すると眠くなるのは・・・
2010年7月31日 日常男性の場合射精後にプロラクチン(prolactin; 乳腺刺激ホルモン)が放出されるためと考えられている。射精後しばらくのあいだ勃起状態が維持できなくなるのも、血中のプロラクチン濃度が高くなるためである。
内閣府審議官に水野和夫氏が起用
2010年7月30日 日常水野氏が過去に朝日新聞紙上で書いた論文「内閣への注文 ゼロ成長時代のモデル築け」を読むと・・・
「新ゼロ成長のもとでも豊かに暮らせるというモデルを、ひるまずに築いてほしい。選挙を通じて民主党が示してきた政策の中にも、新たなモデルづくりの芽はある。
パイを大きくすればなんとかなった時代は石油危機で終わったのに、自民党はゼロ成長時代への転換を図ることなく成長にこだわり、インフレとバブルでつじつまを合わせてきた。それは結果として、せっかく築いた一億総中流社会を崩し、入れ替え戦のない1部と2部のリーグに社会は分断されてしまった。
子ども手当とか高校までの教育費の事実上無料化といった民主党の政策は一見バラマキのようだが、本来は分断された社会を元に戻す努力の表れだ。ところが自民党から成長戦略がないと批判されると、一連の政策は内需振興に結びつくなどとつくろってしまう。相変わらず成長戦略などと言っている自民党も自民党だが、ひるんでしまう民主党もどうか。
国民の関心は景気対策にあると言われるが、かつてと違い生産の回復が所得や雇用、個人消費の回復に結びつかない。原油など資源価格の高騰によるコスト増を人件費で吸収している現状では、なまじ生産が増えれば働く時間が増えるだけ。国民はそういう景気回復を求めているのではない。
人口の減少で内需の伸びは期待できない。外需もモノの輸出に頼っているかぎり資源高騰で引き合わない。そういう経済構造の転換を知ってか知らずか民主党が打ち出した再分配の政策は、時代の流れに沿っている。
新しいモデルでは、アジア重視の姿勢と、「成長がすべてを解決する」という20世紀モデルからの脱却の二つが重要だ。
グローバル化の中で、先進国が400年かけて手にした豊かさを、新興国の30億人は1、2世代で手に入れようとしている。最終ユーザーはいまやアジアだ。鳩山由紀夫首相、岡田克也外相のアジア重視外交は、リーマンショック後の世界はユーラシアの時代という潮流に平仄(ひょうそく)があっている。
ただ、輸出の中心はモノではなく、サービスや知的所有権に関する分野にシフトするべきだろう。「ジャパンクール(格好いい日本)」をアジアの内需にどう結びつけるか。アジアの人が抱く日本人の生活スタイルへのあこがれを本物にする脱近代モデルを示さねばならない。
脱石油も、同じ視点から重要だ。鳩山首相が打ち出した温室効果ガスの大幅削減は経済界には評判が悪い。だが、途上国の負担の上に富を築いてきた先進国が、今度は負担を引き受けなければならない以上、厳しい目標を示すことで国際的な支持を得られるはずだ。
内閣基本方針には、経済合理性重視の経済から人間のための経済への転換を目指し、国が予算を増やせばすべての問題が解決できるものではないとある。成長がすべてを解決する時代が終わったというメッセージであり、これまでの自民党政権との違いがはっきりと表れている。
70年代以降の遠回りで失った分を取り戻すには10年でも足りない。新内閣は少しずつ独自性を発揮していけばいいが、成長戦略がないと批判されても、むしろそれを持たないほうが21世紀の潮流にマッチしていると考え、成長志向の名残を一掃してほしい。」
「新ゼロ成長のもとでも豊かに暮らせるというモデルを、ひるまずに築いてほしい。選挙を通じて民主党が示してきた政策の中にも、新たなモデルづくりの芽はある。
パイを大きくすればなんとかなった時代は石油危機で終わったのに、自民党はゼロ成長時代への転換を図ることなく成長にこだわり、インフレとバブルでつじつまを合わせてきた。それは結果として、せっかく築いた一億総中流社会を崩し、入れ替え戦のない1部と2部のリーグに社会は分断されてしまった。
子ども手当とか高校までの教育費の事実上無料化といった民主党の政策は一見バラマキのようだが、本来は分断された社会を元に戻す努力の表れだ。ところが自民党から成長戦略がないと批判されると、一連の政策は内需振興に結びつくなどとつくろってしまう。相変わらず成長戦略などと言っている自民党も自民党だが、ひるんでしまう民主党もどうか。
国民の関心は景気対策にあると言われるが、かつてと違い生産の回復が所得や雇用、個人消費の回復に結びつかない。原油など資源価格の高騰によるコスト増を人件費で吸収している現状では、なまじ生産が増えれば働く時間が増えるだけ。国民はそういう景気回復を求めているのではない。
人口の減少で内需の伸びは期待できない。外需もモノの輸出に頼っているかぎり資源高騰で引き合わない。そういう経済構造の転換を知ってか知らずか民主党が打ち出した再分配の政策は、時代の流れに沿っている。
新しいモデルでは、アジア重視の姿勢と、「成長がすべてを解決する」という20世紀モデルからの脱却の二つが重要だ。
グローバル化の中で、先進国が400年かけて手にした豊かさを、新興国の30億人は1、2世代で手に入れようとしている。最終ユーザーはいまやアジアだ。鳩山由紀夫首相、岡田克也外相のアジア重視外交は、リーマンショック後の世界はユーラシアの時代という潮流に平仄(ひょうそく)があっている。
ただ、輸出の中心はモノではなく、サービスや知的所有権に関する分野にシフトするべきだろう。「ジャパンクール(格好いい日本)」をアジアの内需にどう結びつけるか。アジアの人が抱く日本人の生活スタイルへのあこがれを本物にする脱近代モデルを示さねばならない。
脱石油も、同じ視点から重要だ。鳩山首相が打ち出した温室効果ガスの大幅削減は経済界には評判が悪い。だが、途上国の負担の上に富を築いてきた先進国が、今度は負担を引き受けなければならない以上、厳しい目標を示すことで国際的な支持を得られるはずだ。
内閣基本方針には、経済合理性重視の経済から人間のための経済への転換を目指し、国が予算を増やせばすべての問題が解決できるものではないとある。成長がすべてを解決する時代が終わったというメッセージであり、これまでの自民党政権との違いがはっきりと表れている。
70年代以降の遠回りで失った分を取り戻すには10年でも足りない。新内閣は少しずつ独自性を発揮していけばいいが、成長戦略がないと批判されても、むしろそれを持たないほうが21世紀の潮流にマッチしていると考え、成長志向の名残を一掃してほしい。」
ほぼノーミス「天才ラット」誕生 東海大、30年かけ(朝日新聞)
2010年7月28日 時事ニュース
人間というのは不思議な生き物で、人間と人間以外を、徹底的に差別して扱う。
きっと、この「実験」の中で、「天才ラット」以外のラットは、どんどん処分されていったんだろう。すごく簡単に。
ただ、現実問題として「役に立つ」んだろう、この「天才」ラットは。
サラブレッドも、牛も、どんな動物でも、「役に立つ」ものがいれば、役に立たないものもいる。
口蹄疫問題では、「種牛」は法律を曲げてまで、その命を助けた。
当然、人間でも、「役に立つ」か否かで区別しても良さそうなのに、人間の場合は、その命の価値は平等だという。
その矛盾を、「矛盾」と感じないのが、これまた人間だ。
人間の命だけ、なぜ平等なのか。
人間の命だけ、なぜ、他の生物の命より尊いのか。
最近、三原順子さんの当選でも話題の「子宮頸がん」。
だれでも感染するけど、発症率は約1万分の1。
1万分の1の確率に、全員にワクチン摂取&公費負担、というのは、よく考えた方がいい。
あまり深く議論すると、冷酷な人間にされるのであまり突っ込まないけど、
財政が破綻寸前という状況下で、毎年500億円近くの予算が必要であることは考えるべきだろう。
500億円くらいなら、という考えは短慮である。
同じ論理で、結核やらなんやらで、公費負担ワクチンはどんどん増えていくことが目に見えているからだ。
医学は進む。
ワクチン開発も進む。
死亡率の低かった病気の死亡率が結果的に上がる。
いたちごっこだ。
ある程度の「病気による死」というものは、覚悟を持って受け入れるのが、生物である人間の、身の処し方ではないのか、と思う。
病気に強い個体を残す、という発想は、他の動物にはできても、人間にはやはり許されない考えなんだろうね、少なくとも現在は。
ずっと疑問に思うことである。
1000年後には、こういう疑問が解消されている時代が存在するのであろうか。
ただ、間違いないのは、地球上のあらゆる生物の中で、人間ほど罪深い生物はいないということである。
きっと、この「実験」の中で、「天才ラット」以外のラットは、どんどん処分されていったんだろう。すごく簡単に。
ただ、現実問題として「役に立つ」んだろう、この「天才」ラットは。
サラブレッドも、牛も、どんな動物でも、「役に立つ」ものがいれば、役に立たないものもいる。
口蹄疫問題では、「種牛」は法律を曲げてまで、その命を助けた。
当然、人間でも、「役に立つ」か否かで区別しても良さそうなのに、人間の場合は、その命の価値は平等だという。
その矛盾を、「矛盾」と感じないのが、これまた人間だ。
人間の命だけ、なぜ平等なのか。
人間の命だけ、なぜ、他の生物の命より尊いのか。
最近、三原順子さんの当選でも話題の「子宮頸がん」。
だれでも感染するけど、発症率は約1万分の1。
1万分の1の確率に、全員にワクチン摂取&公費負担、というのは、よく考えた方がいい。
あまり深く議論すると、冷酷な人間にされるのであまり突っ込まないけど、
財政が破綻寸前という状況下で、毎年500億円近くの予算が必要であることは考えるべきだろう。
500億円くらいなら、という考えは短慮である。
同じ論理で、結核やらなんやらで、公費負担ワクチンはどんどん増えていくことが目に見えているからだ。
医学は進む。
ワクチン開発も進む。
死亡率の低かった病気の死亡率が結果的に上がる。
いたちごっこだ。
ある程度の「病気による死」というものは、覚悟を持って受け入れるのが、生物である人間の、身の処し方ではないのか、と思う。
病気に強い個体を残す、という発想は、他の動物にはできても、人間にはやはり許されない考えなんだろうね、少なくとも現在は。
ずっと疑問に思うことである。
1000年後には、こういう疑問が解消されている時代が存在するのであろうか。
ただ、間違いないのは、地球上のあらゆる生物の中で、人間ほど罪深い生物はいないということである。